せんだいメディアテーク

 仙台です。 夕食は牛タンの予定を実行へ移しました。
 定禅寺通りに面した「スティーハニカム構造プレート」と「鋼管ハイパーシェル構造」による建築物。 作者は、伊東豊雄さんと言います。 東大卒の巨匠です。 1999年末に完成予定が、少し遅れたんじゃなかったかなぁ。 確か。

 朝9時です。 まだ、全階開館していません。 1階の照明はついて無いですね。 建物をケヤキ並木に溶け込ませたいという設計者の意思の表現。 この位置からだとケヤキの枝別れがの高さがわかる。


 ケヤキが写りこんでます。 建物として都市で主張しない建築の1つを意識しながらも、後に作者:伊東氏の様々な反省のコメントを聞く作品。 私は素直にカッコ良いと思ってますが。



 2階らいぶらりー。 朝から使われてます。 天井が高く、管理スペースも何となくですが、見渡せると言うか、見通せると言うか。 テーブル、椅子から天井との隙間だな。 何らかの作業面と空間上限面との。 管理スペースの一部はメッシュのカーテンとかで仕切られたりしているんです。 柔らかな感じです。 階によっては、人の流れを感じるような気もするんだろうな。


 これが、スティールハニハニなんたらと難しい構造床です。 薄いです。 スパン(柱間)をイメージすれば、確かに薄い気がする。 伊東氏は、このアイディアをすぐに構造の先生にスケッチで相談してOKが出たとか。 すごいです。



 夕方、5時半です。 全館開館ですが、閉館の18時が迫ってます。 1、2階に照明がついてます。 エネルギーな感じです。


 夜の街の灯となるのだろうか。 少し、ケヤキ並木で暗くて怖い雰囲気もあるかな。 



 5階ぎゃらりーです。 通り沿いファサードのカーテンウォール、ガラスがつやつやですね。 写っとるぅ。 特殊フィルムか、ダブルスキンの影響か? やはり、天井が高い。 この階は、天井面や展示掲示棚の配置の影響か、空間が四角いかな、丸くはないな。 多分。

 3階のらいぶらりーの通り沿いです。 赤いソファーにフィットしてますね。 女性なんか、靴はいてねーかぁ。 正に靴ろげる。(寛げる。) 受付嬢に「来場者の撮影にはご注意ください。」と言われた私。 反省です。 奥の女性は足元を見てますが何と向き合っているのだろうか。 私と同じ観光客でしょうか。

 この階には、階段で降りてきたのですが。

 網目のような鋼管チュープの構造体の隙間から、スペースが垣間見えますね。 ひろーい。 丸い縦空間から、スラブの隙間横空間へ割り込むように移動です。

 SMT前より。 

撮影日090829:P3A 吉田


 19990504 GW休暇中。 東北本線黒潮線に乗換り込み。
 吉田が合津若松?磐梯山?や仙台へ一人旅に来た際の写真。(Scan)


 まだ、2階?M1階の床と柱までしか出来ていない状態です。


●1995-3 ja(The Japan Architect) 新建築社
「プログラムと建築」より抜粋。
 page.99:伊東豊雄事務所:横溝真氏より

 <吉田が、少し端折って記載します。>
 80年代後半、建築がもつ自閉的ともいえる形式性を振り払うため、建築家たちはいくつものメタファーを動員して高度に情報化された都市におけるイメージを拡張させてきた。 しかし、イメージはある程度表現できても、現実に建築として具現化させようとすると、メタファーを建築的表現に直訳せざるを得なかった。 結局形の問題に帰結してしまうのである。
 90年代に入って建築家たちは、建築をバーコードやレイヤーといった均質で相対的なパターンにのせた。 そこに生じる「現象」を問題とすることで、形をつくろうとする意思、いわゆる手つき、身振りを消去しようと試みたのである。 当然、建築家の関心はプログラム論に広がっていた。 なぜなら「現象」を相手にすることは、より現実的な社会の組織や制度に浸かりながらも、それらに正面から対峙せざるを得ないからである。 つまり、コンペンショナルなプログラムをいかに溶かすか、いかに改竄(かいざん)するかと言う事に感心が移っていたからである。
 
 <以下まだまだ続くので省略します。>
 こんな時代背景下の作品です。
 同級生は、この雑誌を結構買ってましたね。