あるのか。 ないのか。

 個人的な感情でございます。

 19年近く乗った吉田のバイクです。 本日、2月28日に手放しました。 私自身、歳ですし、バイクもおじいちゃんです。 250㏄を新車で買いましたので、乗り潰すつもりでした。 しかし、廃車になる前に、誰か若くて毎日乗るような人の手に、安く渡ってほしいなぁと。 バイクは乗って何ぼだと、勝手に思ってます。 走ってこそ価値がある、価値が増す。 但し、それは乗り手にとってであり、バイクに意思があれば、それが嬉しいはず。 私なりに大切に乗りました。 多分、愛着があると言って問題は無いはず。 お店に売ったわけですが、私には未練があると思います。 母は「名残惜しいかい?」と私に言いました。 手放すにあたって、やはり安すぎるのは嫌だと思いました。 1〜2万円が相場だと解っていても。 勝手な理解ですが、愛着があるものが、安く評価されるのが嫌なのです。 そんなに安いなら、維持費がかかっても、まだ乗った方が私に価値があるみたいな変化も起こる。 個人の満足というか、価値観というか。 大澤・西原研究室・価値認識システム研究室では、イノベーションゲームと言う物を行っています。 それは、アイディア発想のゲームですが。 人の要求とか、望むものっていろいろあり、人間、こういった感覚の存在も大切なのだろうかとか、考えが私の中でぐるぐる廻りました。 新しいバイク、新しい技術がでなくても、これが良いとか。 まあ、例外的発言でしょうけど。 
 建築士である私は不動産に携わります。 バイクは動産ですね。(400ccからかな?) 物産に執着するのは、単に欲から始まって良いのでしょうけど、愛着と言えるようになるには。 何が名残になるのか。・・・  いろいろな所に連れて行って貰えたと思っています。 単純に思い出でしょうか。 いい歳こいて寂しいです。 素直に。
 好意的なお店に引き取ってもらえたと思います。
 良い引き取り手にめぐり合えますように。

撮影日100221:P3A 吉田  
PS.赤い弾丸号と名づけていました。 撮影場所は彩湖の土手です。今度、ここで自転車レースに出ます。