浅草橋探検(1)(2)のKeyGraph比較

先ほどの、2つの書き込みを可視化すると、特に期待をしていなかったのですが、これだけ結果が変わってきます。

(1)浅草橋(1:浅草橋の各地点を見た大澤による感想)をKeyGraphで可視化したもの:




(2)浅草橋(2:各地点にアクセスした意図と、アクセスする上での制約(=前提制約)と、アクセスした結果として起きる制約(=派生制約)を書きこんだもの)をKeyGraphで可視化したもの:
※うっすら背景のように見える線や文字は、(1)のグラフの残像です

(1)は、どの部分を見ても、まあそんなこと書いたなという確認で留まっています。

しかし、(2)にはどぎまぎしてしまいます。「オッサン」と「女性」の繋がりを、この私ともあろう紳士がうっすらと(点線だもんねえ)意識していたとは・・・自分に流れる人間の血液を感じます。

確かに、私が感じていたこの街の印象は、この色気だった気がします。様々な鉱石でできたブローチやネックレスを安く売る店には若い上品な店員がいて、線路から少し離れるとこじゃれたレストランから渋い居酒屋、そして現世からの遊離をそそのかすような屋形船まで。これらの全体を併せた総体が、街の色気でなくてなんでしょうか。

なるほど、そうでした。そしてオッサンと女性が長時間を過ごそうと覚悟を決めて入る店には、その覚悟を蔽うヴェールのような上品さが、本当は必要なのかも知れませんね。いやー、勝手な想像でものを言ってごめんなさい。

こんな、大澤の勝手な想像を、都合表現によるKeyGraphは浮き上がらせてくれます。やはり、都合学は正しい道でした。ますます進めましょう。なお、最後に入った店は

↑ここでした。ここは、大澤が浅草橋探検(2)で「ここがないと、一々長時間入る覚悟を決めて店を選ばなければならないので、オッサンたちも女性たちも、右往左往するのでは」と書いた、その店でした。そして勿論、この記述が、上で書いた(2)の方のKeyGraphのど真ん中です。そう、都合表現で書いた感想文は、その後の行動を予言する力を持っている可能性があるわけです。





大澤幸生