伊能全図にいまさら感服

休日を利用して、
板橋→小金井公園
までダッシュ(MTB)。到着して最初は、やっぱりでっかい公園だなあ、しかしワンコロが可愛いなあ・・・とくらいに思っていた。

ところが。

そう、びっくりしたのだ。何気なく500円払って入館した体育館での伊能全図公開展。

体育館に伊能全図・・・て、おいこれ凄いではないか!つまりあの伊能忠敬の作った日本地図を全て実物大で展示している。すっかり、自分が江戸時代をナメていたことに気付いた。

↓ ほれ関東。

そのうち、↓板橋とか現在の池袋界隈。今も分かる地名が満載です。

↓瀬戸内海の島々。伊能様、全部行かれたのですか!?
問:島間の距離を正確に出すには何通りの経路をたどれば良いでしょう。

八丈島。どうやって渡ったのかと驚く!

↓これ、なんとこれはクナシリ。

勘違いと言うのは、私の
「昔、当時としては凄い精度の地図を作ったということだろう」
という誤解。実際は
「今の人間からしても、とてもこんな地図は作れまいという高度な地図を作った」
というのが正しい。富士山の樹海を忠敬の手法でこれだけの精度で可視化するためには、入り込む必要があっただろう。そもそも、どうやって無事に戻れたのだろうか。

危険なことは他にもある。八丈島とかクナシリ島とか、往復だけでも大変ではないか。これだけのデータを収集し、しかも長崎も岩手もリアス式海岸の複雑な曲線があったにもかかわえらずズレずに正確な地図を描くことができたのか。

これらの質問が新たに生まれては、解決する技術を開拓していた忠敬のイノベーション能力に驚く。

アインシュタインは、なぜあの不思議な論文を書くことができたのか? > ただ天才だったから、それだけだろ?

ピカソは、なぜあれだけ強烈な創造が可能だったのか?

>やっぱり天才が辛い思いをすると爆発的なエネルギーを出すだろう。ピカソは大好きだが、彼の才能は俺には関係ないことだ。

と思っていた。しかし、伊能忠敬の実物大の地図の上に立ったときの印象は違う。なぜ、これだけの偉業ができたのかを考えてみると、工学者としての心根が根本から叱られている気がしてくる。頭も、手も足も、自分は全く怠惰そのものであるし、これでは人間としてフツー
に与えられたイノベーション能力も発揮できるわけがない。きょうが、小金井公園での伊能全図最終公開日だったのが残念。

とにかく、これほど、強烈な刺激を受けたことはなかったと思う。
多くの人に推薦したい展示会だったが、残念ながら本日でおしまい。