新橋で伊能忠敬のサルまね・・・

高架下探検隊@新橋で、
中年の星伊能忠敬のまねごとをやってみた。

空中から見なくても道と道のなす角度を測ることのできる器具(ヒント:素材は100円ショップで210円と、糸とテープと五円玉)を「発明」して作って行くという用意周到ぶり。いつものメンバーに、中国からの留学生3名、それからPさん(筑波大のOG)も来てくれました。

新橋駅から外堀通を渡り、そこから線路沿いに歩く路地が美しい。あまり見事なので写真を撮り忘れてしまった。こういう隙間は、東京の中心地の建物が無統制にたてられ、建造物の種類が変化するところに生まれた異次元の空間かと思う。

先日、フランスの都市計画者が「パリでは東京のような無統制な建て方はしない」と言っているのを見て、気の毒になった。その無統制さが、この美しい路地裏という副産物の源泉なのだが、その日本の美を全く理解しないのでは日本を訪れる意味も半減することだろう。富士山さえも、都市空間の隙間から見えてこそ美しさを発揮しているのだが。この話題では言いたいことが多いので、ここでストップ。実際に伊能のように歩数で歩いた話に戻る。

下の最初の図は、歩数と角度を測りながら作った、界隈の地図。

初めのところで、同じ道を戻って測り直す必要があった。理由は、進んでゆくと看板や障害物があってまっすぐ歩いて計測できないから。最初に道を見通して直線で歩ける軌道を確保すべきなので、伊能は、たびたび100メートルほど先を見る目線で街路を見渡したと推察できる。

そのような高さの目線では、様々な雑念がよぎる。居酒屋の看板、通行人の顔などを度々見ることが必要となり、客観的な思考や計算だけに徹するのは非常に難しい。もし井上ひさし作の「四万歩の男」のように人間味のある人物だったなら、やはりあの偉業は難しかったのではないかという気もする。いや、むしろ遊び慣れて達観できたのだろうか。

それで、歩いてゆくと、スタート地点に戻ってきている筈だが、おかしい。最初の地点と今の地点が合わないではないか(上の図の、赤い字や破線で書いたところ)。

最初は慣れなかったこともあろうと同じところを歩き直す。結果は、下の図の様に、最初よりはましになった。しかし、やはり合わない。しかも、二度とも、帰りの直線が短くなる。逆に言うと、上の述べた路地のところを長く測ってしまう。


この現場を歩いた感覚を思い出すとこのズレの原因として4とおりの仮説を立てることができるように思う。

(仮説1)最後の直線には、数多くの美しい女性を含む様々な人とすれ違い、歩数を数えるのを10歩ほど怠ってしまった。

(仮説2)最後の直線で、なぜか森君とすれ違うので会話をして歩数を数え忘れた。

(仮説3)最後の直線で、テンポの早い人々の波に呑まれて一歩が長くなってしまった。

(仮説4)出だしの路地で、適度な頻度(5〜10歩おき)で目印となる店舗があったので、一歩の重さを感じながら着実に意識しながら踏むことができた。

このうち、自分では仮説4が正しいように思う。

その理由は、実感として仮説3は意識的に防いでいたことなどもある。仮説1と2は捨てがたいが、仮説4を支持する一つの理由は、
路地と最後の直線だけではなく、これらとおよそ直交する(正確には70〜80度程度で交わる)外堀通りを歩く歩数と、そこから路地を抜け道路を渡ったところにある外堀通りに平行な道を歩く歩数にも差が出ているからだ。

後者の道には、目をひく店舗はあるが、約50歩に1軒程度(写真1)である。高速道路を走っていると速度感覚がマヒするのと近い現象が起きているように思う。客観的な計測をしているつもりでも、身体を用いた計測では、外界空間の情報密度によって精度が左右されるのではないか。

実際、新橋のSL広場から道路を渡った店の多いエリアでは、一度歩くだけで最初の地点と周回後の地点は描いた地図上で一致している。これは吉田さんの地図でもそうだったように思う。このエリアは道が直交しているのでやりやすい面はあるが、そのことと、ここで問題にしているズレは性質が違うので、上の仮説は正しいように思う。

それにしても、伊能のまねごとは、人間の空間認知について実験する上で役に立ちそうである。そして、伊能忠敬がこの難作業どころではない難作業を全国を歩いて行い、驚異的な精度で日本地図を作製したことに驚き以上のものを覚える。彼は、実はタイムマシンも発明していた未来人だったという無理な仮説さえも支持したくなる。

両方の図で数字で示した地点を撮影した写真6枚を、下に入れておこう。中国からの留学生である王さんが楽しそうだ。