地震:20日前後の活動変化を可視化してみました

つぶさにデータを観察していたのですが、私のような地震そのものについては素人の者にもわかるような地震の静穏日が一瞬、3月20日の前後で入ったように見えます。しかも、その前後で静穏化(↓)から活性化(↑)へと遷移したケースもありますので、何かあったのものと考えて、3月20日13時を境としてその前後のキーグラフを比較した結果です。


図1: 20日以前の地震の様子(黒い丸は安定して活性化しているところ、赤い丸は活性が不安定:要警戒と私が考える個所)



図2: 20日以降の地震の様子(以下に説明)


キーグラフでは、20日以降の様子をあらわすこちらの図2に、図1よりも(マグニチュードの時系列データによって)活性化している地域に上向きの赤い矢印を、減衰している地域に下向きの赤い矢印をつけました。


前と後で、消えている地域と増えている地域があり、
・消えている地域はマグにチュードあるいは頻度が減少
・増えている地域は増加
という傾向が見られます。つまり、キーグラフで表示される地域や地域群の移動が、活性化している領域の経時的な移動におよそ一致します。その上で見ると、全く短期的な話ですが、沖縄、大分という、現状では頻度の低い地域が新しい活性化領域と隣接しています。

キーグラフをこのように用いると、個々の地域の地震の活性化とおよそ一致するマップが描けることはご紹介できたのではないかと思います。

一応ですが、図2の矢印をつけたもとになったマグニチュードの変化グラフを以下に入れておきます。






ひとつの解釈ですが、太平洋プレートの圧迫によって縛られていた列島が解放され、M9よりはずっと緩い(といっても人間にとっては十分影響力のある)活動を、中央構造線レベルに沿って展開し始めたと理解するのが妥当ではないかと思います。

今回のキーグラフ図のように初期の震源よりも遠い南方に鋭く赤ノードを示す結果も、全く不自然ではないとおもいます。前回の投稿
http://d.hatena.ne.jp/kokashita/20110315/1300205115
でも、奄美に近いトカラ列島が赤くなっていました。

首都について: 本日の図だけ見ると関東では千葉東方沖と福島・茨城が活性化する後は直下型大地震には至らないように見えますが、これほど大きく変化していますので、数日間の静穏化だけで首都が落ち着いたと考えるのは根拠として不十分です。

以上から、国内で転居して地震リスクから逃げるという発想ではなく、必要な通常の防災体制とは何かを改めて学習する指針が改めて今、必要と思います。

大澤幸生